生と死について

「生や死というが、この三界から退きさることも、この三界に出現することもない。また、世にある者、滅度した者という区別もない。この三界のありさまは、真実でもない。だからといって、虚妄でもない。”このようである”ということもない。”このようではない”ということもない。如来は、三界を、三界の衆生が見ているようには見ていない。如来は三界をあきらかに見ていて、誤りがないのである」
聖教新聞20201229 「ロータスラウンジ法華経への旅」より抜粋
 
三界の衆生が持ちがちな「死んだら終わり」「死んだら、天国もしくは地獄に行く」「西方浄土に行く」「何らかの裁きがある」などという死生観は誤りで、如来(仏)はそのように生死を見ていないということか。
 我々の死生観というのは、言わば「錯覚」であり、もっと別の大きな視点でのとらえ方があるということなのだろう。
 冒頭の一文からすると我々には生も死もないということになる。あまりに深淵で理解するのが難しいが、生と死にこだわることから離れることで、生死に区別がなくなるのかもしれない。