得たものを数え、失ったものは数えない

なにか良くないことが起こると、失ったものや失敗しところ、ことによっては自分自身の欠点に目を向けがちである。たとえば、失ったお金だとか、評判だとかを数えあげる。

たしかに、それはそれである程度は必要なことではある(あまり自責的になるのはよくないが・・・・)。それをもとに分析し、失敗の原因を突き止め、同じ失敗を繰り返さないようにしなければならない。

しかし、だからと言って、そこにばかり注目して、失ったものだけを数えてしまっては、失敗を恐れて次に進めなくなってしまう。

一見、失敗に見えるものの中にも得たものが必ずある。そこに注目し、前向きに捉え、次の前進のエネルギーにしなければならない。

先日も、仕事において、やるべき手続きをすべてやって最善の努力をしたが、思った成果が出なかった。仕事の結果を見たときには、かなりショックを受けた。しかし、視点を変えて、得たものはなかったのだろうかという目で見てみると、いくつか成果として挙げられるものが見つかった。

自分を慰めたり、言い訳をしようということではなく、次の前進に向けて気持ちを切り替えるためにも、こういうものの見方は大事だ。

失ったものばかりを数えていては、気持ちが沈んでしまう。得たものを探し、それを数えよう!

 

聖教新聞2021年1月12日号名字の言に触発されて書きました。